修了生インタビュー

 

松田 諭さん
フェロー修了/開業
ファミリークリニックさっぽろ山鼻 院長
HCFM在籍期間/2008〜17年(専門研修3年間 フェローシップ2年間)
宮城県仙台市出身。2004年聖マリアンナ医科大学医学部卒業。06年より北海道家庭医療学センターにて後期研修、08年よりフェローシップ。10年より栄町ファミリークリニック院長・医療法人北海道家庭医療学センター理事。17年3月退職。20年4月、ファミリークリニックさっぽろ山鼻開院。日本プライマリ・ケア連合学会認定 家庭医療専門医・指導医。
家庭医としての原点。
家庭医療に出会ったのは大学時代です。将来、自分がどういった医療をしたいのか悩んでいたときに、大学病院の総合診療内科に大橋博樹先生(現・多摩ファミリークリニック院長、日本プライマリ・ケア連合学会副理事長)がいらっしゃって、「どんな問題にも対応し、家族を含めたケアを行う家庭医療という領域がある」ことを聞きました。
ただ、当時は家庭医になるための研修施設はほとんどなかったんです。そこで、やはり総合診療内科にいらっしゃった山下大輔先生(現・オレゴン健康科学大学家庭医療科)に相談したところ、「北海道に良い研修施設がある」と北海道家庭医療学センターを勧められました。初めて室蘭の北海道家庭医療学センターへ見学に来たときは衝撃でしたね。すごく意識の高い先生ばかりで、刺激をバリバリ受けて。家庭医の道に進む決心が固まりました。
初期研修医時代のハーフ・デイ・バックは私にとって学びの原点です。ハーフ・デイ・バックは、週に一度、病院から本輪西のサテライトクリニックへ半日赴いて行う外来診療の研修で、診療の様子をビデオ撮影して後から振り返りを行います。指導医は草場先生。自分の診療についてプレゼンテーションをするんですが、とにかくツッコミがすごい。私が「血圧は上が○○で、下が□□で〜」と言えば、「そもそも血圧って何だろうね?」という問いが返ってきます。考えたこともないから、「え?」と立ち止まってしまう。その繰り返しです。深く考える、当たり前と思っていたことをとらえ直す。今では習慣化した自分の考え方のベースがここで培われたことは間違いありません。
その後の後期研修(現専門医研修)でも振り返りを通じて徹底的に言語化することを学びました。
フェローシップでは家庭医療のコアや研究について広く学び、自分の中で家庭医療の壮大な教科書の「目次」が作られていくような感覚でした。卒後7年目で栄町ファミリークリニックの院長になり、さまざまな課題に直面しながら体当たりでマネジメントの力を磨きました。
同期、先輩、後輩、いろいろな人の価値観に触れるたびに刺激を受け、たくさんのことを吸収しました。この価値観は自分に似ているな、その考え方は自分とは少し異なるな。そんなことを感じる中で、次第にゴツゴツとした岩が研磨されていくように、自分のど真ん中にある芯というか、自分が本当に大切にしたいことがはっきりと見えてきました。それが今、ファミリークリニックさっぽろ山鼻でミッションとして掲げる「ひとをうやまい、まちをはぐくむ」です。
もしたった一人で研修を受けていたら、それに気づくことはできなかったかもしれません。家庭医になるという同じ目標を持ちながら、価値観の少しずつ異なる仲間とともに学んだあの時間は、私にとっての大きな財産です。
もしたった一人で研修を受けていたら、それに気づくことはできなかったかもしれません。家庭医になるという同じ目標を持ちながら、価値観の少しずつ異なる仲間とともに学んだあの時間は、私にとっての大きな財産です。
ひとをうやまう。
次第に、「北海道家庭医療学センターの松田」ではなく、「松田諭」として生きたいという思いが強くなり、2017年3月に北海道家庭医療学センターを退職しました。その後、準備期間を経て2020年4月1日にファミリークリニックさっぽろ山鼻を開院し、今に至ります。
自分のやりたいことを、自分なりに表現する。「自分の名前で生きるというのは責任が伴う一方で、ものすごくやりがいがあります。私は以前から、医師のやりがいはもちろん、看護師さんのやりがいについても考えていました。たとえば病棟の看護師さんなら、担当の患者さんを持ち、病棟をラウンドして適宜処置を行います。訪問看護師さんは看護計画を立て、一人で利用者さんのお宅へ行き、自分で判断して処置をします。じゃあ、クリニックはどうでしょう?クリニックは常にドクターが一緒ですから判断を求められることはあまりありません。安全である一方で、やりがいを見出しづらいのではないだろうか。」そう考えていました。
当院の看護師さんにはやりがいを持って働いてほしい。そういう思いもあって、診療所向かいに地域活動の拠点「山鼻てらす」を整備しました。現在は駐車場スペースを活用して屋台カフェをオープンしたり、地域の人々の健康相談に乗る「暮らしの保健室」の開設準備を進めています。ここでの私は完全に黒子です。看護師さんたちが裁量権を持って自分たちで企画し、運営を行っています。一人ひとりが自ら考えて行動し、リーダーシップを発揮する。診療所のメンバーみんなが「自分の名前で生きる」ことを実践し、一人ひとりが輝けば、クリニックも自然と輝くんじゃないかと思っています。
「ひとをうやまう」というミッションは、患者さんやご家族に対する姿勢であることはもちろんですが、スタッフに対しても「感謝とお互い様」の気持ちを持つことが大切であると考えています。そのため当院では、スタッフ教育や働き方改革にも力を入れています。週に一度振り返りや職別勉強会の時間を設けて、医師も薬剤師も看護師も事務スタッフも診療の質向上と自己研鑽に努めています。院内に限らず、多職種向け家庭医療学習会やオンライン読書会を開催し、さまざまな人々が交流したり、お互いを高め合うための場作りを行っています。
まちをはぐくむ。
開院から2年半。本当のことをいえば、訪問診療を少しずつ拡大しながらじっくりと経営基盤を固め、腰を据えて組織作りを行うつもりでしたが、開院後すぐに新型コロナウイルスの感染拡大により訪問診療件数は計画を上回るペースで増え続け、スタッフを増員。この春からは常勤医1が加わり、外来診療の枠を広げる体制が整いました。
私どものアイデンティティは家庭医療なので、地域に根ざすためには外来診療が肝。前倒しで外来診療を拡充できたことはうれしい誤算ではあります。その上で、クリニックの枠を越えて地域の健康な人々と関わることを大切にする、新しい都市型家庭医療クリニックのモデルづくりを目指しています。その原点はやっぱり北海道家庭医療学センターでの経験なんですね。寿都診療所の勤務時代、疲れて帰宅すると玄関の取っ手に大きなカニがぶら下がっていた日のことを、一生忘れることはないでしょう。札幌のような都市部であっても、ミクロの視点で見ていけば人と人のつながりはあるはずだし、つながりの強い地域を築いていくことはできると信じています。
そのために外来診療、訪問診療だけではなく、社会的処方を積極的に取り入れていきたい。先ほどはひとづくりの視点から「山鼻てらす」に触れましたが、やはり第一義は「まちをはぐくむ」ためです。地域のみんながお互いを敬いながら支え合う仕組みを作りたい。禁煙を促し合ったり、誰かがインストラクターになってヨガ教室が開かれるような、そこに医師がいなくても「住民が住民を健康にする」地域にしていきたい。それが、私たちの世代が子どもたちに向けて果たすべきことだと思うんです。教育にももうちょっと深く関わりたい。現在、産休・産後でブランクのある医師の現場復帰を教育面で支援したり、札幌市立大学のデザイン学部の学生さんたちとホスピタルアートのプロジェクトを始めていますが、それらをもっと継続して、形にしていきたい。
将来的には家庭医の研修医の受け入れも……、って、欲張りすぎですかね?
※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2022年)
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