インタビュー

髙石 恵一

中札内村立診療所 所長
フェロー2年目

北海道白糠町出身。2014年に地域枠一期生として札幌医科大学を卒業。勤医協中央病院にて初期研修。その後、北海道家庭医療学センターにて専門研修。寿都診療所を経て、2021年4月中札内村立診療所所長就任。家庭医療専門医。

新しい広域連携診療所モデルの「開業」を経験。

中札内村立診療所(以下、中札内診療所)は30年以上にわたり一人の医師が守り抜いてこられましたが、ご高齢のため、2021年4月より北海道家庭医療学センターが運営を引き継ぐこととなり、卒後8年目の私が所長として赴任しました。

医師1名・看護師2名・事務3名の少人数体制のため、従来あった病棟を廃止して外来診療のみとし、入院・訪問診療は北海道家庭医療学センターの医師が常駐する隣村の更別村国民健康保険診療所(以下、更別診療所)と連携して行っています。

これは町村をまたいだ広域連携による新しい診療所モデルといえるでしょう。充実した医療体制の更別診療所を母体として、外来オンリーに絞り込んだ中札内診療所がサテライトクリニックとして機能し、北海道家庭医療学センターの医師総勢5人で更別・中札内の村民計7000名をカバーするイメージです。

入院病床がなくなり、慣れ親しんだベテラン医師から若い医師に代わるわけですから、当初は村の方にどう受け入れられるか心配でしたが、隣町で20年間もの診療実績がある山田康介医師(更別診療所所長)をはじめ北海道家庭医療学センターの医師への信頼と、内科・小児科だけでなく、皮膚科・整形外科なども「何でも診ます」という家庭医ならではの診療範囲の幅広さが村民のニーズにマッチし、おかげさまで外来診療はコロナ前よりもかなり増えています。

私としても、北海道の田舎で腰を据えて地域医療に身を投じることが昔からの願いだったので、こうして診療所の再スタートに携わることができたことは本当に光栄です。診療所をゼロから立ち上げるとなれば、立地や自治体との調整、職員の採用など、骨格作りから始めなければならないわけですが、今回は既存の診療所であり、手続きや調整は事務局の方々に担っていただき、私は診療の仕組みづくりから携わるような格好で、いわば部分的に「開業」の経験をさせてもらいました。こうした貴重な機会を与えてくださったセンターには感謝しています。

診療所での毎日が、そのまま学びになる。

学びに関しては、山田先生に指導医となっていただき、テレビ会議システムを活用したり、直接会って振り返りを行い、一人診療所でも遜色なく教育機会が得られるよう配慮してもらっています。

まず診療分野では、専攻医時代は一つひとつの症例を深めることが主でしたが、フェローシップの今は診療所の混雑状況に応じた外来診療全体のマネジメントをテーマに学んでいます。具体的には、医師一人体制でも医療の質を担保しながら短時間の診療で患者さんのニーズに応え、できるだけ待ち時間を減らして診療の満足度を高めることを目指しています。

教育分野では更別診療所のチームの一員として、テレビ会議を通じて専攻医の指導を行ったり、専攻医による訪問診療に週1回同行してアドバイスを行っています。

経営分野に関しては診療所の毎日がそのまま学びにつながっています。数字管理はもちろん、患者さんを増やすための広報戦略、人事面でのマネジメントなど、実践を通して診療所運営を学んでいます。

特に印象に残っているのが新型コロナウイルスのワクチン接種です。
赴任したばかりで自治体や多職種との連携体制もまだ整っていない中、ワクチン接種を計画し、実施して、振り返ることを繰り返し、予防接種の流れをブラッシュアップしていきました。お互いに素性がわからない状態で多少のコンフリクトもありましたが、振り返りを行う中で改善し、風通しの良い関係性を構築していっている最中です。

中札内診療所1年目の今年はとにかく目まぐるしい毎日で、帰りも遅かったりしますが、これこそ自分のやりたかった医療だと、日々充実感があります。わたしには二人の娘がいますが、6歳になる上の子が言うんです。「パパは毎日遅いから、私も将来はお医者さんになって、一緒に働いて助けてあげたい」って。がんばらなくちゃって思いますよね。

センターにはいろいろな経験をさせてもらいました。
帯広から始まり、上川、旭川、もう一度帯広を挟んで寿都、そして中札内。毎年のように引っ越しを繰り返しました。ここ中札内ではじっくりと腰を据えて、家庭医療の継続性を学びながら実践し、中札内に必要な地域医療のあり方を築き上げていきたいと思います。

※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2021年)

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