インタビュー

雨森正記

滋賀家庭医療学センター センター長
弓削メディカルクリニック 院長
雨森正記 滋賀家庭医療学センター センター長 弓削メディカルクリニック 院長

1985年自治医科大学医学部卒業。89年竜王町国民健康保険診療所所長、95年竜王町国民健康保険診療所弓削出張所を開所、99年弓削メディカルクリニックを開所し院長に就任。2010年滋賀家庭医療学センター開設。教育診療所として後進の育成に励む。

この30年間で大きく前進した家庭医療

僕が竜王町(滋賀県)の診療所に赴任したのは今からちょうど30年前。卒後5年目のことです。当時は「日本にも家庭医が生まれるかもしれない」と期待された時代だったけど、これに対する反発がすごくて、僕自身は家庭医教育の必要性を感じながらも「自分が生きているうちに家庭医の専門医コースや専門医認定ができるなんて絶対ムリやろうな」と思っていました。それが、2018 年に新専門医制度がスタートし、総合診療専門医が専門領域の一つとして認められたわけですから、当時から考えたら夢のようです。

30年前の日本には、診療所の医師が家庭医療のコアを学ぶなんていう機会はありませんでした。家庭医療の真髄とは何か。僕らは日々の診療を通して自分で考えるよりほかにありませんでした。だから自分なりに、患者さんに対して興味を持って接するようにしていたのですが、これがだんだんおもしろくなってきて。そのうちに「家庭医ってこういうものかな」というのが、実践の中でおぼろげながらつかめるようになってきました。

その答え合わせができたのは、だいぶたってからですね。それこそ北海道家庭医療学センターの若い研修医の先生たちが僕に教えてくれたんです。
2003年に北海道家庭医療学センター(HCFM)の後期研修を修了した一瀬直日先生がうちに1年間働きにきてくれて、それを機にセンターとのご縁が生まれました。うちが地域密着型で長くやっている教育診療所ということで、翌年(2004年)からHCFMの後期研修医を受け入れることになったんです。短い人で2ヶ月、長ければ半年間。うちで診療を経験して、北海道に学びを持ち帰るというのが6年ぐらい続きました。いまHCFMにいらっしゃる安藤高志先生や佐藤弘太郎先生、平野嘉信先生もうちに来てくれたメンバーです。

今も変わりませんが、昔からHCFMは家庭医療の理論教育に熱心でした。だからうちに来た若い研修医の先生が、「患者中心の医療とは~」とか、「多職種連携とは~」という家庭医療のコアな部分を論じてくれるんですね。最初はなんのことやわからへんかったけど、説明を聞くうちに、「あぁ、自分がこれまでやってきたことはそういうことなんや」と納得できました。当時はそれぐらい手探りやったんです。

家庭医たるものゴシップ好きであれ!?

雨森正記 滋賀家庭医療学センター センター長 弓削メディカルクリニック 院長

僕はよくうちの研修医には「ゴシップ好きであれ」なんて冗談交じりで言ってます。あの人は誰の子で、あの人とあの人は親戚で、あの人とはゲートボールつながりで……といった具合に町民の家族・親戚・友人関係を僕はこの30年でほとんど網羅しています。たぶんネイティブ( 地元住民)より詳しくね。

年に一度公民館で竜王町の文化祭というのがあるんですが、ここなんてネタの宝庫ですよ。趣味で描いた絵画の展示、詩集、コーラスや踊りのステージまであって、参加するのはうちの上得意さまばかり。逐一チェックしておいて、次の診療のときに使うんです。「あれ!そういえばこの前の文化祭で絵画が金賞を取っていましたね。……カルテに書いておきます」なんていうと、「先生、書かんといてッ!」と喜んでくれるんですよ。おもしろいですね。

ただ、外来の診療にしろ、訪問診療にしろ、こういう情報がベースとしてあれば、その人やご家族に何かが起きたときに、けっこう予測が立てられるんです。この方はご自宅で看取れるな、とか。この家族は難しいから早めにこういうケアをしておいた方がいいだろう、とか。同じプライマリ・ケアでも全然「質」が違ってくる。そういうのは診療所にいる間は思いもよらないものです。こういうのがおもしろいと思えるかどうかは、家庭医になろうとする医師にとって、案外キモになるのかもわかりませんね。


腐らず、楽しみを見つけてほしい

みなさんはこの先、専攻医になるまでも、専攻医になってからも、修了してからも、自分の思い描いていた世界と現実とのギャップに思い悩むことがあるかもしれません。けれどもそれは自分の与えられた「場所」ということで、地域のために、患者さんのために精一杯がんばってほしい。腐らずに、楽しみを見つけてがんばってほしいと思います。

僕が初めてうちのまち(竜王町)に来たときは、地域に医療機関が少なくて住民が困っていると聞いていたものだから、当初は使命感に燃えていました。でも、いざフタを開けると毎日3、4人しか患者さんが来ない日が続きました。どんだけ信用されていない診療所なんだって、赴任してから知りました。当時、28歳です。同世代は病院の専門医コースでバリバリ腕を磨いていたり、大学院に進んで学会に飛び回ったりしているわけですよ。そんななか、自分は9時に診療が始まって9時半には1日の診療が終わる…。そんな毎日が続いて、落ち込みました。けど、地道にやってさえいれば患者さんが認めてくれるものです。あるときからどんどん患者さんが増えて、良い仕事ができているんだなと自分でも実感できるようになりました。

石の上にも三年と言いますが、やっぱり時間はかかるものです。地道に続けてがんばっていれば、周りはきっと見てくれています。だからそれまでは腐らないでほしい。自分がおもろないなぁと思っていたら、周囲に絶対に影響します。自分がおもしろいと思えるものを見つけてやると、だんだんおもしろくなるんです。

まじめに、地道に、おもしろく。
それが老婆心ながら、家庭医をめざすみなさんへの僕からのメッセージです。

雨森正記 滋賀家庭医療学センター センター長 弓削メディカルクリニック 院長

※勤務先・学年は全て取材当時のものです(2019年)

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